独り言は大声で。

完全不定期で、受験の話をしたり旅行の話をしたりしていきます。たまに覗きにくるといいことあるかも。

人生には不確実性が必要なんじゃないか

 旅行記と雑談と、どちらがより求められているのかよくわかりませんが今日は雑談することにします。Googleアナリティクスなるオシャレなものに登録はしてみたのですが見方がよくわからないので豚に真珠というか猫に小判というか、まあつまり全く使えないのでその辺の分析もできていません。よって、書きたいことを書きまくるという方針に変わりはないということになります。

 どうも毎日つまらない

 去年の10月か11月頃にどうも日々がつまらないな、という事態に立ち至りました。どうも何をやっても面白くないと。じゃあ、気分転換に旅行にでも行くかと思って(学園祭準備をすっぽかして)伊勢神宮弾丸日帰り旅行を敢行したら少しマシになりましたが、どうにもつまらない。大学の授業に興味を持てなかったのもあるとは思いますが(一番面白いのがゲストスピーカーの講義というありがちな事態に陥っていました)。そもそも僕が興味を持っていることと大学で学べることが違いすぎておそらくこの2つが交わることは永久にないので僕自身が大学での学問に向いていないのですがそれは置いておくとして、この時は(今もか)大学に大した魅力を感じていませんでした。春夏学期の間にはそんなにつまらないということもなかったのでなんとも不思議なことです。

 じゃあなんでつまらないのか、というとよくわかりません。確かに授業はつまらないけれどそんなことはもともと期待していないので(このブログを教授が読んでいないことを心から祈っています)これが理由ではありません。また大学に行かないからつまらないのかというと元々大学に通うことが好きなわけでもないのでこれも違います。大学に会うべき友人がほとんど存在しないので授業以外で大学に行くモチベーションがないからです。

 不確実性が日々を面白くするんじゃないか

 自分でもなぜこのような状態が惹起しているのかよくわからないまま半年くらい過ごしていたのですが、この前やっと理由がわかりました。要するに、先行きに不透明感がないからつまらなかったんですね。

 受験生だった頃は毎日楽しかったです。毎日過去問を解いて、点数を見ながら受かるかどうかを考えたり、またもし落ちた後のことを考えたりしていた時はとても楽しかったのを覚えています。要するに、先行きの不透明さを楽しんでいたわけです。一橋に受かるのと河合塾に受かるのは(受かるとは言わないか)全く違うものですからこの時点では先行きが見通せなかったわけですが、その状況を楽しんでいたという見方は十分に可能だと思います。

 しかし、大学に入ってしまうとその先はなんとなく見えてきてしまいます。おそらく4年後には就活をしてそこそこに名の通った企業に就職をし、あとは満員電車に詰め込まれて社畜生活を満喫するわけです。それがなんとなく見通せてしまったことがつまらなさの原因だったのではないか、と気付きました。先行きがわからない方が僕にとっては人生が楽しくなるようです。

 じゃあどうするか

 そう気づけば後は簡単、不確実性を高める努力をすればいいわけです。例えば、大学を卒業しても就職しない選択肢を得るために新しいことを始めてみる、あるいは先行きがわからないことをやってみる。1ヶ月後の自分の姿がどうなっているかわからない状況を自分で作り出す。人によって色々な手段があると思いますが、僕にとってはそれは「投資」でした。元々興味があることだったし、少なくとも今の段階では、もし万が一失敗することがあっても失うものは何もないので投資を始めれば少しは毎日楽しく過ごせそうな気がしています。早く20歳になりたいものです。