独り言は大声で。

完全不定期で、受験の話をしたり旅行の話をしたりしていきます。たまに覗きにくるといいことあるかも。

220201 質問の仕方/壮大な実験/Bコース

 旅行記ばかりというのも飽きてきたので、久しぶりに塾で働いていて思うことを好き勝手に述べることにします。この場合の「好き勝手」というのは本当に好き勝手なのであって、もちろん生徒の個人情報については絶対に言及しませんが日頃生徒と接していて思うことを好き勝手に書くということです。ちなみにこれを書いているのは2022年1月31日、つまり中学入試が始まる前日です。これから5日間くらい、ぼく(というか中学受験生を指導するほとんどの先生)に休みはありません。でも、ぼくはこの期間が大好きです。この期間は学園祭前夜のような、どことなく高揚感のある感じで気分が盛り上がります。芝の学園祭準備期間、楽しかったなあ。本番になると後輩のマネジメントでそれどころじゃなくなるので準備期間こそが「祭」でした。

質問の仕方について思うこと

 それはさておき、まずはこの話。質問の仕方についてです。よく塾講師でも予備校講師でもチューターでも「いいかぁ、わからないことがあったら何でも質問するんだぁ」みたいなことを言っていますが、ぼくは絶対に言いません。こういうことを言う人たちが何を考えているのかいまだにわからないのですが、そうすれば「親切」だということになるとかそういう話なんですかね。ぼくはその代わりに「質問したければすればいい。『まともな質問』なら満足するまで付き合ってあげるよ。でも、ロクでもない質問をする人は追い返すからね」と言います。ここで言う「まともな質問」とは「自分の思考のプロセスを説明し、解説を熟読した上でどこがわからないのかを明示した質問」のことで、ぼくは「テキストのここからここまで教えてください!」と言ってくる生徒には「『ここからここまで』って、あなたは宝石を買いにきたアラブの石油王か何かですか?」など言って追い返すことにしています。そもそも説明するのがめんどくさいし(おい仕事しろ)、こういう生徒に懇切丁寧に説明したところで半分も頭に残らず近いうちにまた同じ質問をしに来るということを3年間かけて学んだからです。萎縮して質問に来なくなる子もいますが、その程度の質問なら自分が対応する必要あるの?という精神でやっています。そのせいか一部の生徒からは人気がない(話しかけにくい)人として認識されている気もしますが、ぼくは人気稼ぎをして給料をもらっているのではなくて成績を上げて給料をもらっていると思っているので全く問題ありません。

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空港は盛れる。かっこいいですね。

 …などと偉そうに述べていますが、自分が小学生の時にそこまでできていたかは甚だ疑問です。自分が中学受験生だった頃、先生に質問すらしていなかった気がします。もちろんそれは解答解説を読んで理解できるだけの力があった(あるいは理解できたと勘違いする力があった)からという話ですが、質問に行った記憶はほとんどないですね。浅野の過去問か何かを出した時に「これ、本当にわかったー?」とツッコミが入れられていた記憶もありますが、算数が嫌いすぎて質問をすることすら嫌だったのかもしれません。でも、その結果は麻布不合格だったわけで、やはり「まともな質問」をする能力というのは御三家合格のための必要条件であると思うわけです。

生徒指導は壮大な実験である、という話

 これは今年になって気づいたことですが、生徒指導は壮大な実験の様相を呈しています。ぼくもアルバイトとはいえ3年も講師をやっているとだんだんと慣れてきて、「専任を超える成果を上げたい」と思うようになりました。そのためには教え方を研究したり、課題の出し方を工夫したり、授業内容を工夫したりといった改善が必要になりますが、誤解を恐れずに言うとこれらは全て生徒を実験台とした壮大な実験なのです。こういう研究は全て「こういう風にやってみるとどうなるんだろう」という試行の繰返しだ、ということに3年かけて気づきました。

 こういうと保護者からは「高い金を払っているのにふざけるな」と言われそうですが、今の指導だって去年までの生徒に対する試みの上に成り立っているのであって、それに文句を言われても困ります。しかも試行が許されないとしたら去年のものと同じサービスしか提供できないのですがそれでいいんでしょうか(昨年から改善するために新たな試みをしているので昨年と同じサービスじゃ困りますよね?)。塾の都合と言われればそうかもしれませんが、世の中のサービスはトライ&エラー(なおこのトライは家庭教師とは関係ありません)で磨かれていくものであって、そんなに目くじらを立てることではないと考えています。

 もちろん、お金をいただいている以上は成果を上げる義務があるので成果は上げています。初年度から「国語の文章を速読したい」という生徒を落ち着かせて精読を徹底的に叩き込んで、御三家合格の成果を出しました。これは個人的な感想(「それってあなたの感想ですよね?」というヤツです。小学生の間で流行って困っています)ですが、世の中で「速読教えます」と言っている人はほぼ詐欺師なのであって、「速読したい」という生徒をなだめて基礎基本から徹底するように説得するのが本来の講師の仕事なのだと思います。そもそも速読ってどうやってやるんですかね?「眼球を素早く動かす」とかですか?笑

自分の知らなかった世界を知った話

 ぼくが3年前に塾講師になって最初の衝撃は「Bコースに行くのは大変」ということでした。ぼくはそれまで「Sコースは神々の集い、Cコースは普通の人、Bコースは動物園、Aコースは地球外生命体」くらいの認識を持っていました。最後にSコースに上がったので自分も神の仲間入りをしたわけですが、神というか殿上人というかまさに「二月の勝者」予備軍みたいな人の集いであるSコースには化け物がたくさんいて、組分けテストの算数で180点取れるとか(ぼくの最高点は156点)、合不合の算数で120点取れるとか(100点とって喜んでいたぼくは何をしていたのだろう)、まあ一生かかってもこの人たちには勝てないなという人がたくさんいたのを覚えています(確か男子6人くらいが聖光学院に受かっていました)。ぼくは社会は大好きで、勉強時間の配分が「社会2時間、算数30分、理科10分、国語0分」みたいな恐るべきことをやっていたので社会だけは神々にも負ける気がしませんでしたが、社会ができてもあまり褒めてはもらえないのであって神々の集いの末席に静かに座っていたのを思い出しました。麻布コースなんてもっと酷かったですね。「わあ、算数ビリじゃない!」とか喜んでいたら麻布に落ちたので気をつけてください。

 そんなイメージを持ったまま塾で働き始めてみたら、動物園だと思っていたBコースに行きたくても行けない人がたくさんいるということを知ったのです。そもそも偏差値50(つまりBコース)というのは受験生の真ん中なのであって、それが「普通」、つまり半分の人たちはBコースに行きたくても行けないというのは当然ですが、それを目の当たりにすることになりました。もっといえばBコースの子は「真ん中」とは言ってもそれは「中学受験生の」真ん中なのであって小学生全体の中で見ればエリートなのです。塾もニーズと偏差値で棲み分けしているのでたまたまそういう生徒が多い塾で働いているというだけですが、それを知ったことは貴重な経験だったと思います。知ったから何があるというわけでもないし、別にそういう生徒が劣っているとか思うこともありません(むしろ彼らをBコースに送り込むのが自分の仕事です)が、世間を多少なりとも知っておくというのは悪いことではないでしょう。

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久しぶりにA340を目撃しました。

 などと徒然なるままに(なお読み方は「とぜん」ではなくて「つれづれ」です)思うことを書いていたらあっという間に3000字に到達していました。確かこのブログにおける字数の目安は2500字だったはずなのでこの辺でいったん打ち止めということにしておきます。明日からは楽しい入試期間です。バイバーイ!