独り言は大声で。

完全不定期で、受験の話をしたり旅行の話をしたりしていきます。たまに覗きにくるといいことあるかも。

Mission Impossible

 身の回りに(生徒以外の)小学生がいないのでよく知らないのですが、どうも最近はやっと小学校が再開されたようです。午前中だけだとか午後だけだとか言いながら登校しているらしいということは何となく聞いていますが、再開自体は大変おめでたく慶賀の至りなのであって、どんどん学校に通えばいいと思います。僕が小学生だったとして喜んでいたかというとおそらく喜んでいなかったとは思いますが(笑)。

 やっていることがそもそも矛盾している

 誰かさんの突然の思いつきで学校が休みになり、再開したかしないかくらいの時に今度は議事録がない(!!)驚きの’’専門家’’会議の’’提言’’に助言を受けて(正確には受けたことになっている、か)また学校が休みなり、と休校が長期化する中でだんだんと「どうやって学習の遅れを取り戻すか」という議論が起こってきました。夏休みをなくすだの、土曜日に呼び出すだのと色々な話が出てくるのを眺めていたら(つまりそれは日本名物・マヌケアイディアの出現を待っていたということですが)、案の定出てきてくれました。曰く、「学校の勉強は家でやる。何なら親が見ろ」(要旨)。

 おお、またよく思いついたな、と。それでは学校の存在意義を否定しています。学校の勉強が家でできるなら毎日6時間も7時間も学校に行く必要はありません。「小学校6年間を3ヶ月で復習」などという通信教育(つまり進○ゼミですが)の広告が送りつけられてきて「じゃあ小学校に3ヶ月通えばいいじゃないか」と思ったこともありましたが、今回はこれを超えています(笑)。卒業した身からすると時間を返せという感想しか出てこないですね。

 小学生に自習を要求する愚策

 まず言っていることとやっていることが矛盾しているのはさておき、もう1つこのアイディアには難点があって、それは小学生なり中学生なりに「家で勉強しておけ」などというのは絶対不可能、Mission Impossibleだということです。僕はほぼ1日おきに小学生と接していますが、その様子からして絶対に不可能です。今まで「『主体』的な学習をするよう『指導』する」などとまた矛盾100点満点なことを言っていたツケが今回ってきたという見方もできるかもしれません。

 例えば、「予習シリーズの第3回の要点チェックを宿題にする」と決めてこれをそのまま言ったとしても(こちらが当然想定している)丸つけと直しまでやってくる生徒はほとんどいません。「今回の宿題は予習シリーズの第3回の要点チェックです。ノートに問題を解いて、赤ペンで丸つけをして、直しをやって来週の授業で提出してください」と言ってもできません。何でできないのか大人からしたら理解不能なのですが、こういう風に指示を出したところで①全てやってくる②直しがない③丸つけがない④やっていない⑤持ってこない⑥読めない⑦他の科目のノートにやってくる、とまあ色々なノートが出てきたり、出されなかったりします(笑)。ちなみに割合は①15%②30%③30%④10%⑤5%⑥5%⑦5%、といった感じですね。要するに、このレベルで指示を出してもきちんとできる子は5人に1人くらいということです。

 しかも、これは「中学受験生の中での」話です。中学受験生というのは少なくとも机に座っての勉強では普通の小学生より圧倒的に優れていますが、それでもこの程度なんです。要するにエリート小学生でもこの程度なのであって、そうでない普通の小学生については推して知るべしですね。

 

 この状態が続くのは「教育格差が広がる」という批判もなされていますが、僕はそもそも問題がそこに到達してすらいないと思います。格差が広がる前に、教育そのものが前進していないのは大きな問題であって、進まない原因も何となく察しががついているのでその話も今度することにします。