独り言は大声で。

完全不定期で、受験の話をしたり旅行の話をしたりしていきます。たまに覗きにくるといいことあるかも。

そんなに友達が必要ですか?

 中高時代、毎年自分の住所やら家族やら連絡先やらを学校に提出する必要があったのですが、毎年僕を困らせる欄があってそれは「学内の友人」でした。確かに普段話す人はいたし大変に楽しい6年間でしたが、「友人」といえる人がどれくらいいたかというとそんなにいない気がしてなりません。

 そもそも「友人」とは何ぞや

 「友人」というのは大変に定義の難しく扱いの面倒な言葉だと思います。そもそも一口に「友人」と言っても全員が同じというわけではなく仲の良さに応じて①一緒に旅行できる②一緒に遊びに行ける③一緒に食事に行ける④話せる、とこれくらいに分かれていて、またこちらが友人と思っていても向こうがそう思っているかという別の問題が発生するので大変に面倒に思えてくるわけです。僕の場合③④はそれなりにいますが②となると途端に人数が激減し①に至っては今思い当たるのは2人しかいません。

 前に誰か有名な人がそう言っていた気がしますが友人と旅行に行くというのはなかなか危険な行為で、場合によっては友人関係に深刻な影響を及ぼしうるものだと思います。ドバイ国際空港で見かけたおそらく大学生であろう2人組は想像しうる限り最も険悪なムードを醸し出しながら飛行機を待っていましたが、それはまさに「旅行は時として人との仲を悪くする」という実例でした。24時間一緒にいるというのはお互いの良いところも悪いところも見えるようにする行為なので、例えば「イビキがうるさい」「足が臭い」などと悪い部分が見えてきてそれが仲に影響を及ぼすというのは納得できる話です。

 全自動友人作りシステム

 大学というのは恐ろしいところで、努力をしないと友人ができないところのようです。小学校なら「隣の人と仲良くしましょう」などという薄気味悪い教育が実践され、中高でもそこまで露骨ではないにしても大した努力をすることなく友人を作ることが可能なシステムが装備されていますが、大学はそれまでの学校にあった「全自動友人作りシステム」が装備されていないため努力をしないと友人ができないということになります。そのシステムはつまり「クラス」ですが、大学のクラスというのはほぼ形骸化しており実体がない幽霊のようなものと言ってほぼ間違いはないでしょう。したがって、努力をしなければ人と知り合う機会がなくつまり友人ができないということになるわけです。

 そんなに友人が必要ですか?

 多くの大学生にとって「友人作り」というのは生命線のようで、大学生、とりわけ新入生は友人作りに勤しんでいるわけですがその話はまた別の記事で書くとして、僕からするとなぜそんなに友人が必要なのかがわかりません。友人が増えれば増えるほどそれに費やすエネルギー・金・時間が増えて自由が減ることを考えると、彼らの行動はわざわざ自分の自由を減らそうとする行動のように見えます。友達付き合いというのは大変なコストがかかるものなのにその多くはそれに見合うリターンがないように見えるので、僕からするとなぜそんなにコストばかりかかることをしているのか大変な疑問です。「みんなが友達作りをしているから自分もそうしよう」という、ある意味で模範的な行動がこのような結果をもたらしているのでしょうか?

友人が少ないと快適ですよ

 一方で、僕は大学入学時に友人作りに興味がなかったことと、このような大学のシステムが相まって大学には友人がほとんどおらず、おかげで無駄なしがらみのない大学生活を送ることができています。無駄な飲み会だのコンパだの(同じか?)に参加させられることもなく、「生協で駄弁る」などという時間の浪費をすることもなく、授業を受けて、帰りたくなったら帰るというのは無駄がなくて大変気に入っています。息が合う人とだけ友人付き合いをし、そうでない人とは最低限の関わりだけを持つというのは僕の考え方にピッタリ合っていて快適です。

 

 この話はそのうち続編を書くことになると思いますのでお楽しみに。