独り言は大声で。

完全不定期で、受験の話をしたり旅行の話をしたりしていきます。たまに覗きにくるといいことあるかも。

十人十ノート。

 ちょっと前に「東大生のノートは必ず美しい」という謎の本がブームになりました。知り合いの東大生で読解不能な字を書く人がいるのでこの本は明らかに適当なことを言っているのですが、まあその話はいいでしょう。それにしても、色々な生徒を指導していると、ノートというのは本当に十人十色だなあと思います。たまに「なんだこれ?」というようなノートが出てくることがあるので今日はその話です。

 あなたは何を書いてるの?

 ノートは本当に千差万別ですが、結構な頻度で出てくるのが読解不能系ノートです。本当に読めません。字がダイナミックというか、独創的というか、まあとんでもないノートが出てきて飛び上がりそうになることがあります。こういうノートの所有者に「罫線」と言う概念はないようで、3行分で1文字だったり、書いてあることが12次関数ですか?というくらいグチャグチャ曲がっていたりします。こういうノートには「罫線がかわいそうなので使ってあげてください」とコメントして返していますが、真意はなかなか理解されないようです。

 ただ、この手のノートの持ち主は成績は悪くない、というかむしろ良いことが多いです(正確に言うと、両極端が多いですね。超いいか、超悪いかどちらかです)。もう少し具体的に言うとノートが汚い子は算数ができることが多いように思います。なぜか国語ができる子でノートが汚い子はあまりいません。不思議ですね。

 罫線が喜ぶノート

 宿題チェックでそういうノートを見ている中で、綺麗なノートが出てくると救われたような思いがします。「どこに宿題がやってあるのか」を探す必要がないというのは先生の負担を大いに軽くしてくれるのです。この感覚は塾講師の経験がないとわからないと思いますが(笑)。

 綺麗なノートの持ち主は、やはり女の子が多いです。もちろん男の子でノートが綺麗な子もいますが、圧倒的少数派ですね。きちんと罫線が活用されているので、罫線くんたちもきっと喜んでいることでしょう。

 本人が読めれば問題ない

 じゃあ、綺麗なノートと汚いノートとどちらがいいのかというと正直に言ってどっちでもいいのです。テストの答案と違ってノートというのは自分のために書くものなので綺麗だろうが汚かろうがあまり気にしていません(ノートが汚い子は答案も汚いという問題はあるのですが)。宿題をやったかやってないかはテストの点数を見ればわかりますから、別にどこにやってあるのかわからなくても大した問題ではないのです。

 むしろ、ノートが綺麗すぎる子はノート作りが目的化している危険性があるので講師としては心配になります。ノートは所詮備忘録なので、それを著しく逸脱した7色のキラキラノートなどは全く感心しません。「これ覚えられてるの?」という疑いの目を向けることの方が多いです。仮にきちんと覚えていたとしても、ノート作りにかける時間を他のことに有効活用すべきですからやはり綺麗すぎるノートはちょっと気になるところではあります。

 

 でも、もし汚いノートを発見しても、あるいは過剰に綺麗なノートを発見しても「何よこのノート!」と言ってはいけません。この記事にも書いたことですが、勉強についてのことは塾の先生に言ってもらった方が解決が早いはずです。必要なところは全力で他力本願寺。それでも大丈夫。