独り言は大声で。

完全不定期で、受験の話をしたり旅行の話をしたりしていきます。たまに覗きにくるといいことあるかも。

210112 リスクリワードを考えろ!

 前に記事でやはり日本はおかしいという指摘をしましたが、いつまでたってもそのおかしさは修正されないようです。むしろ、修正されないどころかどんどん間違った方向に暴走を続けているような気がします。
 僕がどうしても理解できないのは政府が「自分の行動が様々な観点から見て合理的なものだったかを検証しないまま次々と新しい行動に打って出る」ということです。普通に考えて、何かをやったら検証しますよね。例えば、学生は「定期考査に向けて勉強をして、結果を見ながらその努力の方向性や量について十分だったか不十分だったか」という検証をするわけです。中学一年生だってやっています。僕が中一だった時の担任の先生は「反省だけならサルでもできる。次にどうするか考えるのが人間。」というようなことを言っていましたが、まさか反省すらできない人が国家の上の方にいるという事実だけでも十分に血の気が引いて卒倒しそうな事態です。緊急事態なのは日本がそういう人たちに率いられているという事実の方であるように見えます。

日本政府・日本国民の過剰反応

 それはさておき、ここ1年くらい、僕は「日本の反応は常に過剰反応すぎる」ということを一貫して主張してきました。この後説明しますが、日本がどうして小さな脅威しかもたらさないウイルスに対して未だにこんな過剰反応を続けているのかよくわかりません。リスクリワードが全く合っていない対策をいつまで続けるのでしょうか?
今回の話題ではリスクリワードのそれぞれについて「リスク=対策を継続することで社会に生じる不利益、リワード=対策を継続することによって守られる命」と定義することにします。まずは、リワードの方から見てみましょう。要するに、対策をした場合にどのような属性の命が守られるのか?ということです。


リスクリワードについて-リワード編

 前の記事では世界的な数字に注目して説明しましたが、この記事では日本の状況に注目してみることにします。東洋経済のウェブサイトで国内の陽性者、重症者、死者をはじめとする様々な数値についてまとめられているのでそれを見てみると、1月12日の時点での死者の年代別割合は下のグラフのようになります。

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 さすがに何が言いたいのかはわかりますよね?要するに、このウイルスに感染して死亡するのはほとんどが高齢者だということです。具体的に言うと、死者のおよそ96%が60代以上、およそ87%が70代以上ということになります。
このサイトは年代別に、どの状態の者が何人いるかも教えてくれます。例えば20代で見てみると「陽性者58,346名のうち死者は2人、回復者が53,295名、要治療者が5,049名、重症者が0名」です。このデータをもとに致死率と、陽性者に対する回復者の割合をグラフにしてみました。

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 どうですか?これを読んでいる若年層の読者の人たち、これでも「コロナ怖い」を続ける素敵な脳みそを持っているなら、今すぐこのページを閉じてその素敵な脳みそを市原ゾウの国のゾウさんにでも踏みつけてもらってきてください。本当はアフリカまで行って本場のアフリカゾウに踏みつけられてほしいところですが、渡航制限があるので国内でも仕方ありません。あるいは、時速320キロで走っているE5系の先頭車両にでもしがみついてきてください。少しはマシになるはずです。


 今「若者が自粛しない」ということを嘆く人がいますが、その原因はこれでしょう。昨年4,5月期にはこの辺のことをよくわかっていない人が多かったからとりあえず自粛していたわけですが、だいぶ時間がたっても自分の周りに陽性になった人もほとんどいないし、まして死んだ人はいない、という人が大多数のはずです。となれば、「なぜ自粛をする必要があるのか?」という発想になるのは当然のことでしょう。しかも、自分たちが大学にすら通えず毎日パソコンで動画を眺めているだけなのに、公園に行けば老人がゲートボールをし、老人ホームではカラオケ大会が行われ、町の喫茶店を覗けば老人ホームかと見紛うばかりに老人で埋め尽くされているわけです。この現状を目の当たりにして、自粛をやめた若者を責められる人はどんな禁欲的な生活をしているのでしょうか。僕も、「自粛するのはアンタたち高齢者だろ」以外の感想が出てきません。


 話は逸れましたが、これから先もこの傾向は変わらないでしょう。となれば、この先対策を取ったところで守られるのは高齢者の命だ、ということになります。これが「リワード」ですね。

リスクリワードについて-リスク編

 じゃあリスクはどうなんだ、ということになるわけですがこれは「経済の破壊」であり「生活の破壊」であるということになります。すなわちこれらは、消費を落ち込ませることによって人為的・意図的に実行された経済の破壊であり、「新しい生活様式」なる人間の尊厳、人生の楽しみを無視したかのような生活様式が推進され、海外渡航すら自由にできない、という生活の破壊です。ここまで読んでいる読者なら理解していることと思いますが、僕の考えは「このリスクが大きすぎる」というものです。


 先般、必要性を説明しないまま知事に押し切られる形で発令された緊急事態宣言ですが、これが「リスクが大きすぎる」の最たるものです。飲食店は午後8時で店を閉めろ、だの午後8時以降はできるだけ外出するな、だのと言っていますがこれでは生活が成立しなくなる人が大勢出ます。ちょっと考えただけでも、経営が立ち行かず店を閉める経営者、それに伴って解雇された従業員、その店に品物を卸していた卸売業者、その先の生産者まで、非常に広範囲の人々に影響を及ぼすことになります。
サービスをする側の経済的困窮は見えやすいですが、サービスを受ける側も困ったことになります。午後8時と言えば、まだ普通のサラリーマンは仕事をしていたり帰宅途中だったりするわけです。何なら小学4年生でさえまだ塾で授業中だったりします。そんな時間に飲食店を閉める、すなわち夕食の場を奪うことをすれば彼らの食生活レベルを低下させることは想像に難くありません。前回の緊急事態宣言の時に夕食の場を奪われたサラリーマンの阿鼻叫喚が聞こえてきましたが、あれと同じ轍を踏むつもりなんでしょうか?


 新しい生活様式をはじめとする政府の呼びかけにしても同じです。人との距離を取れ、旅行をするな、マスクをしろ、会食をするな、などと言っていますがこれが何を意味しているかを考えてみることにします。そもそも人は「密」になることで互いの関係性をより近いものにし、生産性や人生の質の向上を図ってきました。小学校を見ればわかりますよね?生徒同士が近い距離で時に対立することを経験しながら対人スキルを身につけたり、友人関係を発展させたりしてきたわけです。しかし、それをするなと言う。また、これは僕が旅行好きだからというのもあるでしょうが、旅行は間違いなく人生の質を向上させます。しかし、それをするなと言う。ライブやコミケ、飲み会など他の人間の活動もみんな同じ理屈が成立します。それを破壊しようとするのは、すなわち人間らしい生活の破壊を意味します。いったい何がしたいのか理解不能です。
 企業の売り上げ低下は当然のことながらリストラにつながり、それは失業者の増加につながります。例えば、昨年11月の完全失業者は195万人で10か月連続の増加、完全失業率は2.9%で例年の平均を0.5%ほど超えています。それがどうなるかというと、自殺者の増加につながります。日本では「失業者が160人増えると自殺者が1人出る」という明確な研究結果が示されています。ついでに、自殺者の予測をしている記事も見つけたので見てみてください。しかも、この自殺者は高齢者ではありません。これからの日本を作る若者です。これが、コロナ対策を優先することの「リスク」です。


つまり、リスクリワードが合っていない

 それでは、ここまで見てきたリスクリワードは合っているのでしょうか?要するに「全世代の人間らしい生活・命vs 老い先短い高齢者の命」という構造になっているわけですが、さすがに「合っている」という人はいないと思います。もしいたら飛行中の飛行機から命綱をつけずにバンジージャンプでもしてください。その素晴らしい脳みそも、少しはマシになるでしょう。
 このことを踏まえれば、対策をすべきは若者ではなく高齢者だということになります。その事実から目をそらし、若者と飲食店と遊興施設をスケープゴートにする政策をいつまで続けるつもりなのでしょうか?